悲しみの週末

 
 

 それは、誰かがお亡くなりになったのでは?

   見覚えのない人だったけど・・・?

 でも、その方はきっと貴方に礼を述べにきたのだわ、きっと。

   でも・・・ じゃ、いったい誰?





  先週末
仕事をしている時に誰かが現れ
礼をして消えたという事を書いたが
あれから丁度1週間後の今日
哀しい知らせが飛び込んできた




懇意にしていた人が昨夜亡くなった

最近は大晦日に一度だけ会って1年分の話をする知人が居ると
過去3回ほど書いたと思うが
その彼であった

前回会ったのもいつものように昨年の暮れ
2kgの年越蕎麦を打って届けてくれた時
孫が出来て嬉しそうであり
しかしながら家長の座を降りたような寂しさもありでと
そんな話をしながら
淹れたコーヒーをすすった大晦日
ついこの前の事で


悲しい知らせを届けてくれた人によると
心臓発作であったという
本人にも突然でまさに青天の霹靂



  ・・・・


ここで手が止まってしまい
過去に書いた大晦日の記事を読み返してみたり
包みを用意したり
冬の間に積み上げられた雪を崩して融かそうとしてみたりと
意味もなく・・・


そろそろ身辺を片付けて整頓しなくちゃいけない歳になったのだろうか?
50の半ば前後で、健康で、そう意識して日々を送っている人なんているのだろうか?
彼も仕事疲れで入浴前に横になっている時、果たして死を意識したのだろうか?
何か忘れ物をしたような、そんな気持のまま荼毘に付されて困惑しちゃうのではないのか・・・?

そんな取り留めのない事をぼんやりと考えながら
いつかはそんな日が
と思う次第で


これからの身の振り方を考えさせてくれたのだとしたら

先ずは自分も身辺整理をしないと

でも会社をたたんでからだなんて、それは到底不可能で誰かに尽力願わないと・・・

苦労は容易に感じ取れるな

生むよりも始末する方がエネルギーは必要だ

あとは何もない

残しておきたいものだけきちっと整理したい

それだけだ





気がつくと陽もかたむいて山の端の雲に隠れてしまった





今日は悲しいほどのお天気だった




合掌