父の命日


 5月2日はイタ父の命日

        享年61

 その時イタさん三十路どき




その日の夜もいつものように遅く
11時過ぎに仕事を終えると会社で弟と電話していた
容態も好ましくないとか近づいてくる弟の挙式の事とか

母が病院から電話を掛けてよこすも話中で一向に繋がらない

との事で近所の親戚の人がわざわざ知らせに来てくれた
危篤であると弟に伝えて電話を切ると
急いで病院へ向かった

が、

一足遅く、病室は静かだった
やるべき事は手を尽くして行った
そんな病室の様子だった
着いたのが息子だと知ると医師はAEDを使い再度蘇生を試みたが
それを制止した

    もう静かにしてやってくれ




今でもあの夜の事は思い出す
冷えてゆくぬくもりと血色を失いゆく顔と



今日の今日まであの時長話をしていた事を悔やむ
そうして経営をうけ継いだ訳だが
1日たりとも存在を忘れる事はなかった
良い時も
そして苦しい時はなおさら

イタ父の死を境に
父と自分との年齢を当てはめて思い起こしてみようと試みる

祖父が死んだ時の父の年齢 結婚した年齢 1子を授かった年齢 事業を始めた年齢 大学に送った年齢 息子と仕事を共にしだした時の年齢・・・など

かたや自分
自分の子供は幾つの時に?
会社を受け継いだ時は?
子供が大学に入った時幾つだっけ?

そして
      親父が鬼籍に入った年齢になるまでにあと何年ある?

というカウントダウンまでだ

勿論将来の起るべく出来事を言い当てる事は誰にも出来ない

でも足跡を重ねて歴史を比較する事は容易にできる
そこまでして検証しなくても父を追い越す事が出来ないのは明らかだが
少しだけでも近づきたいと想う意識の顕われだ

今実の子供を粗末に扱う親とかについては言葉を控えるが
どこかで愛情の連鎖が切れてしまったからだと信じて疑わない
注ぐ愛情の多少は限度もないがそれは永遠に続いてこそ良好な親子関係を維持できるのだと考える

     それが果たして今の自分に出来ているか


特に父の亡くなった命日には毎年のように帰結のない命題に捕らわれてしまう